「仙台真田氏の郷」 矢附 史跡めぐりコース

仙台真田氏 矢附の説明看板

蔵王町矢附地区は、真田幸村の血流が続いている「真田幸村ゆかりの地」です。
そんな矢附地区には、史跡が多くあり、歩いてみると歴史情緒をほのかに感じられます。

蔵王町B&G海洋センター

スタートはこちら、蔵王町B&G海洋センターなどがある蔵王町総合運動公園がよろしいでしょう。

松川遊歩道の橋

球場やテニスコートの脇を通り、松川の河川敷に出てほどなく、この橋が見えますので渡ります。

真田史跡 入口看板1

そうすると県道に出ますので、そこをちょっと右に行って、すぐ左。
そのまままっすぐ行くと、

観照院上の墓地

このような墓地があります。その右下の方に、 

仙台真田氏 矢附の説明看板

このように”仙台真田氏”について解説している看板があります。

簡単に言えば、大坂・夏の陣で討ち死にする直前に、幸村は敵方の伊達政宗に息子・大八や娘・阿梅らを預けます。

伊達家の家臣・白石の片倉家にひそかに匿われ、大八は名を変えて伊達家に仕えました。

そして、曲竹・矢附という地区に領地を拝領しました。

というわけで、この地は大八が伊達家から下賜された所なのです。

そしてその大八からつながる子孫が、この地に生き続け、その流れを汲んでいるのです。

 詳細は、こちらをご参照ください。真田の郷・蔵王町-PR活動公式ホームページ-

その付近には、

真田史跡 駐車場 看板

もあります。その奥に

真田豊治 墓石への道

この小道があるのでまっすぐ行くと、

真田豊治墓碑

真田幸村から11代目にあたる真田豊治の墓碑がすぐそばにあります。

幕末から明治初期の仙台真田家分家の当主だった豊治は、現在の宮城県栗原市金成の代官所で役人をしており、民衆からの信頼も厚かったそうです。

 その後、宮村の小学校(現在の蔵王町立宮小学校)で教員を勤めました。

 この豊治の娘・とつが、矢附の平間長治という人物と結婚し、その血筋が矢附・曲竹につながっています。

その近くにもうひとつ。

真田幸清 筆子塚

江戸時代末期~明治初期を生きた真田幸清の筆子塚(供養塔)。

仙台真田氏の分家から本家の養子となった幸清は、この矢附に「真田塾」という私塾を開き、門弟へ指導していました。

この碑には、「左衛門佐幸村十世」と刻まれています。大八の時代からひた隠していた「真田幸村の血筋である」ことをはじめて公表した、歴史上きわめて貴重な遺構なのです。

鉾附神社へ向かう道

そこから少し北の方面へ向かいますと、

鉾附神社の丘

このような丘があります。

 

鉾附神社

奥州を支配していた豪族・安倍氏と平安朝廷の戦い・前九年の役(1051~1060)の際、

武勇の誉れ高い朝廷側の武将・源義家は、現在の白石市小原温泉辺りから矢を射たところ、

なんと15km近くはあるこの地まで矢が飛び、そして突き刺さった。

 土地の人々は、弓矢の矢が附いたことから「鉾附神社」という社を作り、義家を祀った。

そして、この地区は「矢が附いた所」ということで、「矢附」と呼ばれるようになり、現在に至るわけです。

ちなみに、真田幸村が「日本一の兵(つわもの)」とたたえられたことは有名ですが、実は源義家も「日本一の武士」と呼ばれていたのです。

つまり、この矢附地区は「日本一の武将2人のゆかりの地」という全国的にも珍しい土地柄なのです。

蔵王自然村

そこから少しまた来た道を戻ると、蔵王自然村が見えてきます。

蔵王自然村「樹の里」

そばなどの食事がいただけます。

ひらきゅうへ行く道

そこからさらに南下すると、このような地点が出てくるので右へ。
ちょっと行くと信号がありますので、「大河原」方面へ左折。

ざおうハーブ&ひらきゅう

ちょっとだけ行くと、日本有数のハーブ栽培農家、グリーンアトリエひらきゅう(ざおうハーブ)が。
わいわいハウスという、自家栽培のハウスや、各生産者が持ち寄った作物が購入できます。
気さくな従業員さんたちと話すのも楽しいかもしれません。

B&Gへ戻る途中の青麻山

 

 

 

 

 

 

 
そこからは青麻山を見ながらそのまままっすぐ進むと、松川を渡った橋が見えますので、元来た道を戻ります。

 

 

矢附 歴史散策コースマップ(JPEG)

コースルート(赤線の部分)。画像をクリックするとPDFファイルが開きます。

距離/約4km
時間/約90分(見学時間含む)
駐車場/蔵王町総合運動場
トイレ/蔵王町総合運動場