蔵王の史跡 その2:敬明講図

敬明講図

 

 

 

 

蔵王町内にある史跡を紹介しております。今回は、遠刈田の刈田嶺神社にある「敬明講図」についてです。

 

蔵王連峰は、平安時代後期くらいには、蔵王大権現を祀る修験の道場として栄え、江戸時代後期以降には、市井一般の者も多く参詣するなど、古くからの歴史を有する山々です。

遠刈田温泉は、江戸時代以降の陸奥国側唯一の蔵王山参詣路である「蔵王参詣表口」の出発点で、山頂の蔵王大権現と参詣路とを管理する金峯山蔵王寺嶽之坊(きんぷせんざおうじだけのぼう)という寺院が所在する地として、多くの参拝者が訪れました。

嶽之坊は、参拝者を山頂まで導く先達(せんだつ。参拝者の道案内と、山中の規律を司る修験者)の仕切りも担っており、蔵王山参詣を統括する存在でした。

 

明治初期に発布された「神仏分離令」「修験廃止令」の影響を受けて、山頂の蔵王大権現社と嶽之坊とが合同して神社へと変貌し、明治12年に蔵王刈田嶺神社と号するようになりました。

ただ、蔵王山参詣の流行は衰えることはなく、蔵王刈田嶺神社もまた、蔵王山参詣の一切を司ってきました。

さて、今回の話の中心である「敬明講図」は、現在も存続する蔵王山参詣講(グループ)「宮城敬明講」が明治38年(1905年)に奉納した絵馬。

蔵王山参詣には、尾根筋を通る「御山駆け」と、沢筋を通る「御沢駆け」との二通りがあるのですが、本図は「御山駆け」を描いたもので、真夜中に遠刈田温泉を出立し、暗闇の中、先達に導かれつつ参詣路を駆け上る敬明講中一同の姿が如実に描かれています。参詣者の装束や持ち物なども仔細に描き出されており、歴史深い蔵王山参詣の様子を今に伝えてくれます。

現在は拝殿内に懸額しており、適切な環境で保存されています。

基本情報敬明講図所在地/蔵王町遠刈田温泉仲町1 蔵王刈田嶺神社
備考/いわれについては、刈田嶺神社 鳥居の脇に看板が立っており、それにて概要を知る事もできます。