仙台真田氏勉強会が行われました

仙台真田氏勉強会(幸清筆子塚)

今年4~6月に全国的大型観光宣伝「仙台・宮城デスティネーション・キャンペーン」が開催されます。

迎える側にある蔵王町の関係者が、お客様との話題つくりや案内に役立てたいと思ったことから、蔵王町の遠刈田温泉、白石市の鎌先・小原温泉、川崎町の青根温泉の旅館や商店の関係者が参加した勉強会(実地研修会)を開きました。

大きなテーマとして、白石市や蔵王町に縁がある、このホームページでも何度かご紹介している仙台真田氏(真田幸村の息子・大八の血脈)についてということで、関連する史跡を周りました。

※仙台真田氏の詳細に関しては、こちらをご参照ください

見どころ案内も含めて、概要を簡単にご紹介。

 

仙台真田氏勉強会1

こちらは白石市内国道113号線から少し入った所にある、田村家墓所という所。

そちらには・・・ 

仙台真田氏勉強会2

大八と一緒に連れてこられた姉妹である、幸村の七女・阿菖蒲(おしょうぶ)の墓があります。
そして、その隣に幸村の墓碑と伝えられる無銘の墓碑が建っています。

建立時期は不明ですが、大八が真田氏を名乗ることができなかった時期に建てられたものと思われます。
しかし、父を偲ぶ墓碑を立てたいという幸村の遺子たちの想いが伝わってくる場所とも言えます。

より詳細はこちら

ここから移動して蔵王町内へ。

仙台真田氏勉強会4

蔵王町内は、仙台真田氏関係だけでなく、多くの史跡にもこのような説明看板がありますので、それにもご注目ください。

 

さて、蔵王町内の仙台真田氏関係史跡は、矢附・曲竹地区にあります。そのうちの、

仙台真田氏勉強会(幸清筆子塚)

真田幸清の筆子塚を見学。

第八代当主にあたる幸清は分家から宗家の養子となり、家督を相続しました。

安政2年(1855)、刈田郡矢附村の真田氏在郷屋敷において寺子屋『真田塾』を開きます。読書と習字を教え、最大時には門弟50名が在籍していました。明治4年(1871)に幸清は亡くなりますが、その後、矢附村川原畑に門弟たちにより、幸清の筆子塚が建立されました。

この碑には『左衛門佐幸村十世(さえもんのすけゆきむら)』と刻まれ、大八の代から260余年の長きに渡り秘匿してきた幸村との関係を、初めて公にしたものです。

そういった点で価値のある史跡です。

そのすぐそばにあるのが、

仙台真田氏勉強会5

真田豊治(さなだとよじ)墓碑

この豊治、幕末から明治初期の仙台真田氏分家当主です。幕末期に現在の宮城県北部で代官所の郡方役人を勤めていたようです。民衆からの信頼も厚かったようです。(さすが、幸村公の子孫!)

明治期には、刈田郡宮村小学校(現在の蔵王町立宮小学校)で、算術教師を勤めました。

そして、明治10年(1877)に死去し、矢附村に葬られました。それがこのお墓。『幸村十一世』と刻まれています。

豊治の末娘・とつは、矢附村の平間長治と結婚して4男2女を設けました。子供たちは矢附村、曲竹村に分家・発展し、名将幸村の血脈がこの地域に溶け込むこととなりました。

※今も平間さんが、この界隈には多くいます(なので、『担当:平間』の文字だけでは、誰だかわからないことしばしば・・・)。

 
再度、白石市に戻り、

仙台真田氏勉強会6

今度は清林寺を見学。どういう史跡かと言いますと・・・

清林寺 説明

 

 

 

 

 

 

 

こちらにも書いてありますが、幸村の家臣・三井景国ゆかりのお寺です。

寺紋が六文銭であるように、家臣も主人・真田家を慕ってこちらに来たということがわかります。

最後はこちら。

仙台真田氏勉強会8

JR白石駅から割と近い、当信寺。

 

こちらには、 

仙台真田氏勉強会9

大八その姉・阿梅のお墓があるのです。

もともとは大八=片倉守信の墓は阿梅と並ぶどころか、存在自体も知られていなかったそうですが、現在はこのようにして姉弟並んで静かに眠っています。

このように県南地方に残る仙台真田氏や片倉氏の歴史を、この地を訪ねる方にお話していけるよう、今後も研さんを積んでいきたいと思います。

なお、DC期間中には仙台真田氏に関してのイベントも開催予定!

詳細は後日、こちらでも掲載したいと思います。

追記

今回の勉強会の模様は、ミヤギテレビの夕方の人気番組「OH!バンデス」でも本日、取り上げられる予定だそうですので、そちらもご覧になるとより面白いかと思います(宮城ローカルですが・・・)。