蔵王の由来 その2
昨日の続きです。
その後、願行寺四十八坊は廃れてしまったのですが、
嶽之坊(だけのぼう)という小寺院が、
「蔵王大権現社」の管理と遠刈田温泉から蔵王山頂の蔵王大権現社に通じる参詣路の統括という、
蔵王山の信仰に関する重要な役割を負いました。
江戸時代後期(18世紀末)あたりから庶民の間で、名所旧跡や霊場巡りが盛んに行われるようになり、
蔵王山に参詣する人もにわかに多くなりました。
こうして始まった「蔵王の御山詣り」ブームは、幕末期から昭和初期まで、途切れることなく続きました。
嶽之坊が管理していた蔵王大権現社は、蔵王修験の開祖である願行が吉野より分祀したものです。
この蔵王大権現社、明治以降の神仏分離令の流れを受け、刈田嶺神社と名を変えます。
この刈田嶺神社、実は3つあります。
ひとつは、蔵王町宮地区に。(毎年1月14日の暁詣りで有名)
ひとつは刈田岳山頂、つまり蔵王の御釜のそば。
もうひとつは遠刈田温泉にあります。
※宮と遠刈田のものは成り立ちが異なります。その辺は、下記をご参照ください。
http://www.dokitan.com/column/02.html
蔵王山は積雪が深く、冬季は山頂のお社に参詣することができないので、
山麓の遠刈田温泉のお社に祭神を遷座させて、参詣の便宜を図っているのです。
このようにして蔵王の信仰は、現在も続いているのです。
長々と書きましたが、その刈田岳山頂の方にも、もうじきエコーラインが開通し、行けるようになります。
※4/23(金)11:00以降に通れるようになります。
春が蔵王にも、もうじき訪れます。
神社に関する歴史の詳細等は、下記をご参照ください。
どきたんドットコム(蔵王町歴史と文化財公式HP):http://www.dokitan.com/column/03.html











